これまでの歩み
〜はじまり〜
「わたしらしく、 好きな人達と自由に仕事がしたい」
社会人になるとすぐの頃から、そんなことを考えていました。
でも「私らしいってなんだろう」「自由ってなんだろう」その答えがなかなか見つけられないまま、5年、10年と月日は過ぎていきました。
「 大きなことを考えていたけれど、やっぱり夢は夢。このまま何事もなく生きていくのかもしれない。」
30代で変化を起こせなければ、もう夢を語るのは諦めて大人しく暮らそう。そう思っていた時に、二つの転機が訪れました。
社会人になるとすぐの頃から、そんなことを考えていました。
でも「私らしいってなんだろう」「自由ってなんだろう」その答えがなかなか見つけられないまま、5年、10年と月日は過ぎていきました。
「 大きなことを考えていたけれど、やっぱり夢は夢。このまま何事もなく生きていくのかもしれない。」
30代で変化を起こせなければ、もう夢を語るのは諦めて大人しく暮らそう。そう思っていた時に、二つの転機が訪れました。
〜 転機 その1〜
1つ目は、勤めていた会社の事業縮小と母の病気です。
今ではよく耳にする「事業縮小」「廃業」という言葉ですが、30代を目前にして"縮小に伴う早期退職”を経験。
同時に、母が乳がんを患い闘病生活のスタート。順風満帆にいくと思っていた自分の人生にまさかこんな事が起こると思っておらず、「いつ何が起こるかわからない」と言う事態を身をもって経験をしました。病気の母の看病をしながらどこかに勤めるということができず、「起業する」それしか道はありませんでした。
今ではよく耳にする「事業縮小」「廃業」という言葉ですが、30代を目前にして"縮小に伴う早期退職”を経験。
同時に、母が乳がんを患い闘病生活のスタート。順風満帆にいくと思っていた自分の人生にまさかこんな事が起こると思っておらず、「いつ何が起こるかわからない」と言う事態を身をもって経験をしました。病気の母の看病をしながらどこかに勤めるということができず、「起業する」それしか道はありませんでした。
〜 転機 その2〜
2015年に個人事業となるマレンを設立。しかし、夢見ていたような "セレブな経営者” には程遠く、母を看ながら地道に事業を営む生活でした。
「母のためにも自立して、元気になったら親孝行して喜んでもらおう」そんな思いを抱きながら…。
しかし、そんな母が2020年に急逝。 親孝行することも、感謝の言葉すらも告げられないまま、息を引き取りました。 これが、二つ目の転機です。
ただただ後悔と無力感と、「母のために」という目的を失った私は、もう仕事に取り組む意欲が無く、前に進めず、もう辞めてしまおうとすら考えていました。
「母のためにも自立して、元気になったら親孝行して喜んでもらおう」そんな思いを抱きながら…。
しかし、そんな母が2020年に急逝。 親孝行することも、感謝の言葉すらも告げられないまま、息を引き取りました。 これが、二つ目の転機です。
ただただ後悔と無力感と、「母のために」という目的を失った私は、もう仕事に取り組む意欲が無く、前に進めず、もう辞めてしまおうとすら考えていました。
〜 心にきめたとき 〜
そんな時、お仕事で関わる方々からメッセージが届いたのです。
「奈緒さんには、仲間がいます」そのメッセージを読んだ時に、心があたたまり、私は1人じゃないんだと、仲間のありがたさを感じました。
「奈緒さんには、仲間がいます」そのメッセージを読んだ時に、心があたたまり、私は1人じゃないんだと、仲間のありがたさを感じました。
同時に思い出したのは、母と交わした最後の会話です。
亡くなる前日病室で、母がいつになく苦しんでいて、それでも私は仕事を選び、「行かなくちゃ」と言う私に母は、本当は辛くて痛くて怖くて悲しいのに、
「いってらっしゃい」と、か細く、でも小さい頃から何度も聞いてきた優しい声で、送り出してくれました。それが、母が私にくれた最後の言葉でした。
「いってらっしゃい」と、か細く、でも小さい頃から何度も聞いてきた優しい声で、送り出してくれました。それが、母が私にくれた最後の言葉でした。
だから、私は行かなくちゃ。前に進まなきゃ。母の分も生きて、いつかまた会えた時「奈緒、がんばったね」って言ってもらえるように。
それが、今の私の原動力となっています。
「人に夢と書いて、儚いと読む」いつかいつかと言っているうちに、叶えられなくなってしまう。
私の母への夢は、どう頑張ってももう叶えることはできません。
それなら、私と同じように後悔をしないように、「母のため」を「みんなのため」に替えて、仲間のために力を尽くそうと決心しました。
〜 夢の実現へ ~
そしてまた、夢を叶えるためには力が必要です。
「 思いを強く貫く力」「 自立できる経済力」「 支えてくれる仲間の力」 そして「身体と心が健康であること」 一人一人がこれらの力をつけて、
活躍できる場所があり、想いを持った多くの人とのご縁をつなぐことができれば、夢を実現することができるのではないかという構想が始まりました。
活躍できる場所があり、想いを持った多くの人とのご縁をつなぐことができれば、夢を実現することができるのではないかという構想が始まりました。
そしてここから「 多くの女性が、いくつになっても家族を愛し夢を描いて笑顔溢れる。そんな仲間を全国に作りたい」という想いが生まれました。
これが Dear Woman の創業の想いです。
女性だからこそ、 守るべきものを守り、しなやかに生きる力を持ち、仲間と共に人生を輝かせることができる。
そして共感し合う仲間が集まることで大きな力となり、どんな事も乗り越えて、素晴らしい未来を創り出すことができると強く信じています。
私には今、素晴らしい最高の仲間がいます。
私の描いた夢に共に寄り添ってくれる仲間が、一緒に夢を見て叶えようとしてくれています。
そんなみんなと共に、もっと多くの仲間を輝かせるために Dear Woman は歩み続けます。
女性だからこそ、 守るべきものを守り、しなやかに生きる力を持ち、仲間と共に人生を輝かせることができる。
そして共感し合う仲間が集まることで大きな力となり、どんな事も乗り越えて、素晴らしい未来を創り出すことができると強く信じています。
私には今、素晴らしい最高の仲間がいます。
私の描いた夢に共に寄り添ってくれる仲間が、一緒に夢を見て叶えようとしてくれています。
そんなみんなと共に、もっと多くの仲間を輝かせるために Dear Woman は歩み続けます。
【夢が生まれ 笑顔つながる はじまりの場所】
代表 高橋 奈緒
代表 高橋 奈緒
事業概要
髙橋 奈緒(たかはし なお)Dear Woman 株式会社 代表取締役
Dear Woman 運営
設立 | 2015年8月 |
---|---|
事業内容 | コミュニティ運営・スクール事業・起業支援 |
出身地 | 埼玉県春日部市 |
趣味 | ゴルフ・映画鑑賞 |
略歴
2008年 | アパレル会社に就職。百貨店の服飾フロアで勤務。 |
---|---|
2010年 | ベンチャー企業の社長秘書として勤務。 |
2012年 | 芸能事務所のマネージャーとして勤務。 |
2015年 | 個人事業主として Malene 設立 |
2017年 | BCCスマート&タブレット教室認定 インストラクター取得 インストラクター養成、シニア向けスマホ教室開設を拡大中。 |
2022年 | Dear Woman 設立 現在に至る |
2024年 | Dear Woman 株式会社 へ法人化 |